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60 フランスもの

ピアノを本格的に勉強し、自分の演奏スタイルというものが次第に出来上がっていくと、自分の弾き方はこうと知った上で自分に合う作曲家、得意な作曲家をいくつかあげることが出来るようになってきます。
好きな音楽と自分が弾いてその演奏スタイルや個性に合う音楽は微妙に違ったりもするものですが、私の場合は持てる技量の中で弾いて自他ともに合っている作曲家と認められるのはシューマン、ブラームスの小品などです。そのことはもう既にしっくりと染み込んで納得しているものです。ですが、高校生の頃から大好きだったフランスものへのこだわりも又頭のすみにいつも小さくこびりつくように抱え続けてもいます。

今では仕事の自覚を持って伴奏したり指導したりと演奏に携わっていますが、一愛好者として音楽に関わり、好きな曲を勝手気ままに弾いている時間もとても長かった私は特に高校生の頃から、ドビュッシー、ラヴェル、フォーレなどフランスものを知って以来大好きになりました。勿論、サティ、プーランク、レナルド・アーン、その他日本では馴染みの薄いあちらの作曲家の小品などにも興味津々で、目に飛び込んで素敵と感じたものは手当たり次第なんでも聴いたり弾いたりしてみたくなったものです。

フランスものというのは、私の世代がその20数年前の高校生の頃、ピアノをきちんと勉強して一日何時間もその当時求められていた必要な課題に真摯に向き合う生活をしていたらなかなか知る時間は持てなかった音楽かもしれないです。ピアノも好き、ジャズもそこそこ好きで聴いていましたが、それにしても何故か私の耳はショパンよりもシューマンよりも、もっと「今」を感じさせ、人間臭ささとは別の次元にあって軽やかな息遣いを伴って響いて来たフランス近代の音楽にぐいぐいと惹きつけられていきました。

乱暴にひっくるめて言えばそのお洒落で色彩的な響きが好きという感覚が一番なのですが、生意気盛りの頃、周囲から聴こえて来るピアノのお稽古モードでしばしば弾かれていていたベートーヴェンのピアノソナタに嫌気がさして、本当にいい演奏に出会わないままアンチ・ベートーヴェンという気分に独りよがりに陥って、その反動もありフランスものに惹かれて行った、というのも今となってはなんとなく気恥かしくも認めるところです。

でも恐らくは何よりも人間に真っ向から立ち向かい、生きることから逃げないで泥臭いまでに人生に深く関わっているベートーヴェンの音楽は高校生の私には重過ぎて、それを受け入れてそこに自分の身を置くことが出来なかったのかもしれません。

モーツァルトの純粋な美しさに気がつくようになったのはもっと大人になってjからですし、シューベルトの狂喜と抜けるような透明感に気がついたのはさらにもっと後です。あえて進んで垣根を高くすることもないですが、ベートーヴェンにたどりつくのは実はまだこれからなのかもしれません。

フランスものとの出会いで思い出されるのはFMでサンソン・フランソワのラヴェルを初めて耳にした時のことでしょうか。でもそうです、もっと衝撃的な体験として思い出されるのはパリ管弦楽団の演奏するドビュッシーのノクチュルヌ、「夜想曲」を聴いたことでしょうか。

高校の音楽の時間に聴かせていただき、あまりに美しく、学校の備品だから絶対駄目だというそのレコードを兎に角貸してもらえないかと音楽の先生にしつこくお願いし、私のあまりのしつこさに根負けした先生は「じゃあ、しょうがない。でも絶対内緒で・・・」と、音楽好きの一生徒の願いを認め、校外への持ち出しを許可されました。もう既に時効のお話と言ってお許しいただけるでしょう。
特別に許可されたという優越感と一緒に大切にそのレコードを抱えて持ち帰り、じっくり家で聴いたといういわく付きの曲ですが、一夜漬けの試験勉強の徹夜明けに聴いたパリ管の音は、うす紫色の夜明けの空の色とセットになって強烈に記憶されています。

とりとめのない話になってしまいました。大好きだけれど、自分の音やテクニックで弾けるのかな、まだこれからでももう少しフランスものを人前で弾けるように取り組めるかな、生徒にもちゃんとレッスンできるかな、勉強しなくちゃ・・・・・などとつらつら思いながらのお話でした。

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2004年 4月12日


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