57 ほめられた時
前回に引き続き「ほめる」にまつわるお話。
お世辞かななどと内心勘ぐりつつもほめられるとやはり気分が良くなるもので、
伸びる時というのは上手にそんな言葉を受け止めて肥やしにできるようです。
かけられて嬉しいほめ言葉ってどんなのだったかなと、しばし思いをめぐらしてみるうち、どうも私はほめられるのが好きで、昔からほめられて育ったタイプかなと、乗せられやすいお調子者の部分が大?とも言える自分にハタと行き着きました。
直接にほめるという行為ではなくとも、良い部分を認められるとプライドをくすぐられ、そんな言葉をかけてくれる相手にはランドセルの頃からなんとなくヨワかったのだわねと今更に思います。
子供の頃のそんなくすぐったくも嬉しかった言葉のひとつが音楽教室のA先生からかけられたものです。
小学校3年生くらいでまだオルガンを使ってのグループレッスンを受けていた時だったでしょうか。レッスンが終わった後ピアノに触ってぽろぽろとなんとなく弾くともなしに遊んで音を出していると、「これ、ひさりちゃんだったら弾けるわよ」と先生が譜面を置いてくださったのです。置かれた曲は確かワルトトイフェルのスケーターズワルツ。今どきの小学3年生でちょっと弾ける子ならとっくにきちんと弾ける曲ですが、当時の私の自尊心をくすぐるのには十分でした。耳に覚えもある曲、その大人用の譜面はコンパクトサイズで分厚く、しかも小さな音符がびしっと印刷されているかのごとく目に飛び込んできます。
30数年前のその頃、グループレッスンを受け始めたとはいえ、耳ばかりやたら肥えていた私にはそのレッスンにはもの足りなさを感じ、かといって内心やりたくてたまらなかったピアノの個人レッスンが受けたいと、気持ちを貫いて家族に言い出す勇気もなく、子供心になんとなくもてあましていたのかもしれません。そんな私にピアノの先生の「あなたなら」「弾ける」です。その場の展開は推して知るべしです。
もうひとつ、やはりランドセルの頃の思い出。何かにつけて思い出されるのが小学校の合奏サークルで指導を受けたH先生の手紙です。
小学校も卒業の年だったと思いますが、先生のご主人が末期の癌で闘病、看病のため学校もお休みされ、市の音楽祭に向けての練習もままならないそんな時、1通の手紙を渡されました。
内容は「チャイコフスキーの白鳥の湖から情景の部分をやりたいと考えていましたが・・・」というようなもので、今は夫の病気と向かい合っていること、合奏サークルの練習を誰それさん達と一緒に中心になってしっかりやって欲しいこと・・というものです。
白い便箋一枚に青いインクで書かれたそれは、およそ小学校の先生らしからぬ、読み取りにくい書体で縦書きにさらさらと書かれ、まるで大人が大人に宛てたのかと感じられる手紙でした。
H先生の手紙はほんの短いものでしたが、確実に死を意識せざるを得ない夫の傍らから諸々の心の重さをひっくるめた上に書かれたものであることがずしりと伝わるものでした。大変な状況にある先生から留守をよろしく頼みますよと信頼され、幼い心で先生の辛さも引き受けたようなつもりになって、あらゆる面で大人扱いされた自分が誇らしくさえある気分で頑張ったのを覚えています。
ほめるというのは相手を認めることだと前回も書きましたが、このA先生、H先生の場合は今の私にとってその良い例として引き出させていただくものでもあります。勿論、折に触れ時々思い出しては自分自身について考えてみるいくつかの鍵になるような大切な出来事のひとつでもあります。
2004年 3月15日
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