46 一年の計
昔から「一年の計は元旦にあり」と言うけれど、一年が終わる頃になると、ちゃっかりと「終わり良ければ全て良し」。いつの間にか元旦の誓いなどどこ吹く風。だいたい、ものの数週間としないうちに元旦に誓いを立てたかどうかも定かでなくなってしまうものですし、立てたところで大晦日からのここぞとばかりの大掃除や料理や夜更かしに暴飲暴食・・というところで、爽やかな元旦というのにはちと遠い、どさくさ紛れの所詮当てにもならない誓い。
年の初めからサエない話になってしまい、なにやら情けない空気が漂いますが・・。
お正月、さすがに元日はピアノの蓋もしまったままです。綺麗に磨かれて鎮座していただいています。
二日には弾き初め。そもそも年末からはさすがにピアノに向かう時間も減るもので、そうなると自ずと弾きたい虫がうずうずしてくるものなのです。
体の不調などで自らに休養宣言を課してもピアノがある場にいようものなら、三日も休めばピアノを弾かないことがむしろストレスになってしまい、なんだかイライラもしてくるものです。弾きたい、弾きたい、弾きたい・・・。
毎日毎日、それ相当の時間、必要な練習のために時間をかけているのだから、いい加減イヤにもなりそうなものだけれど、ピアノばっかりは嘘も誇張もなく、誓って、嫌になったことはただの一度もないのです。
嫌になるほどやっていないだけでしょうにと、自問自答し、一歩引いて考えてもみますが、そうでもないはず。たしかに子供の頃はただ単に好きな音楽を好きなように弾いていたので嫌になりようがなかったのですが、逆にそれでは飽きたらなくなってきたというものなのです。
恩師と呼べる先生に出会って一年ほどの頃でしょうか、音楽の内容に深く入っていくレッスンに、なかなか力及ばないながらも、理解を深めながらより高い完成度を目指して弾いていけることが心底嬉しく、「先生、私は今、弾けることが楽しくて楽しくてしょうがないんです。」とお伝えしたことがありました。「今のうちだけかもしれないですよ。」と、そのうち苦しくて嫌になる時が来るかもという意味を暗に含んで、笑ってらしたのですが、その言葉に限っては先生の予想は大はずれでした。
弾けば弾くほどに弾きたくなるピアノの世界、知れば知るほど知らないことを知らされるような音楽の世界ですが、今年もこれまでどおり、自分の出来ることを少しずつ積み重ねていきたいと思うその気持ちは、酔っ払って言ったとしても正気で言ったとしても変わらない、ひとつの小さな誓いです。
ただ、どれほど自分の愛情を音楽に注いだとしても、ピアノという楽器に関しては火事になったらまずトゥシューズを抱えて逃げると言うダンサーのようには出来ないのが残念です。そればっかりはかなわないのです。火事になっても、夜逃げしたくても、愛用のグランドピアノを背中にしょって小走りに・・なんていうことは出来ないのがちょっと悔しいところです。
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