40 緊張と鼻水
それにしても色気のないタイトルですが。ここ何度か作曲家についてのお話が続いたので、ここらでちょっと気分転換、方向転換。
本番前の緊張については「第10回 魔法のハンカチ」でも書きました。書いた後ももちろん、相変わらず私にとってのハンカチは「ライナスの毛布」、SafetyBlanketとして欠かせないアイテムなのですが、必須アイテムのハンカチを持ってしても、いかんともしがたい、こりゃ仲良くお付きあいするしかないのね、という毎度お馴染み緊張時における自己制御不可能な生体反応(?)が・・。
きっかけは忘れもしない、とあるサロンコンサートの楽屋。何年前でしょう?もう軽く15年くらい前になるでしょうか。かつて札幌の時計台のまん前にあった小さな、そしてなかなか素敵なカフェで弾かせていただいたときのことです。何人かのピアノの先生方が集まってのミニコンサートでした。
「私、ピアノ弾く前、緊張すると必ず鼻水が出るのね。・・・・あー・・・ぐしゅ・・・・。」
楽屋でのありふれた雑談のひとこま、のはずなのですが、何と言ってもその奇妙な性癖(?)を語る言葉が発せられたのはその日のプログラムの最後、たしかショパンのスケルツオでトリをつとめる御仁。
誰がどこから見ても美しく、文句なし、満場一致でジグソーパズルの最後のひとかけのように美人という言葉がぴたりとはまる方。しかも妻にめとらばこの女子大・・と言われていた良妻賢母型にして知性的というおっとりとしたお嬢さんにしてそこはかとなく知性を漂わせる、もちろんピアノもお上手な素敵な先輩講師でした。
「緊張すると鼻水が出る。」 憧れの先輩の口から漏れた、あまりに彼女とアンバランスな(しかも「ずず・・」と実際お鼻をすすりあげつつでした・・・)この衝撃的な言葉は以来天のお告げ、神の啓示・・・ではないですが、一瞬にして私の感性を鋭く深く抗いがたく刺激したのです。
そもそも、演奏に際して緊張するとどうなるかといえば、それまでに得た私の常識でいうと、手が冷たくなる、食欲がなくなる、どこかそわそわ落ちつかない、突然暗譜が不安になる、妙な生あくびが出る、出番の直前に心臓の鼓動が突然ドクドクと激しく高鳴る、最悪の場合、弾いてる手が震えてなぜかそれでも自動演奏マシーンのように弾き続け・・・・というところ。
そこに、鼻水!な、なんで鼻水なの? 晴天の霹靂とも言えるこの新たなる事実!
よりによって咳でもなく、めまいでもなく、鼻水などという、話されたご本人には似つかわしくないその意外性も驚きなら、緊張と鼻水という二者の結びつきもこれまた十分衝撃的に意外なものでした。緊張することと鼻水が出ることがどんな関係にあるか、自律神経がどうのこうのということなのでしょうか・・その道に詳しい方にはぜひともご説明をいただきたいものです。でも少なくとも私にとってはこの両者が結びつくのに数秒の混乱状態をくぐりぬけなければならず・・・あたかもその組み合わせは振袖に厚底サンダル、クロワッサンに納豆、動物園のオリに三毛猫・・・・・。
というわけで、この衝撃の事実を知らされたのは自分も本番直前のナーバスな時。新鮮な驚きとともにしっかりと受け止められ、体に刻まれてしまったのでしょう。その日の演奏はそれなりに無事、弾くことが出来たのですが・・・さて、大変だったのが次回の演奏時。
影響を受けやすいとはこういう人のことを言うのでしょうか。ま、まさか・・・そうなのです、そのまさかが我が身にふりかかってきたのです。
弾く前からなんか変、と一抹の体の不具合感じてはいたのですが。いざ、弾き始めたら・・もう、やめられない止まらない、のは演奏ももちろんですが、むしろそれはぐしゅぐしゅする鼻水の方でした。
あまり、否、決して、綺麗な話ではないですが、曲の途中、静かなところで、ずずとすすり上げるのもためらわれ。何せ音が響くように作られた場で弾いているのですから当然お鼻をすすり上げる音だって・・。かといってそりゃあ両手がふさがっているわけですから、拭くわけにもいかず、なすがまま・・・・。あとはご想像におまかせ・・・するのもちょっと、ですが。
それでも弾いてる時はさすがに気にしてもいられなかったのですが、弾いてる最中に鼻水なんてことは初めてです。あとで落ち着いてみると、どう考えても前回の本番前、鼻水談義のあの衝撃を受けたことが原因、なんとまあ実に単純に影響を受けちゃったのです。
以来、何年も程度の差こそあれ、本番前も本番中も、緊張時の鼻水とは仲良くお付き合いいたしております。
さて、これをお読みのどなたか既に気が付かないうち「感染」してしまったでしょうか。次回の本番ではどうぞご注意くださいませ。
Copyright (C) 2001-2009 Hisari-Isoyama. All Rights Reserved.