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39 シューマンに触れる

懐かしい。何故かシューマンに向かうとそういう想いが込み上げてきます。
普通は過去に出会って再開した時に湧き上がる感情を懐かしいというのでしょうけれど、何故かシューマンは初めて聴く曲も、それから、毎日触れている曲でも「懐かしい」と言う言葉がいちばんしっくりくるのです。

こみ上げるものを抑えもせずに勢いにまかせ激しくほとばしる感情も、ひどく内向的に暗闇の中をさまようような空虚な感覚も、ユーモアなのかひどく子供っぽいだけなのかわからないしつこさも、あたたかな愛情に満ち溢れた幸福も、光の中で咲き乱れる花や木々の緑も遠くの山々も・・・。

多分、今書いたような全てがシューマンの音楽に流れているのでしょうけれど、そのどれもが心の奥深くに潜んでいる、心象風景であるかのように感じられます。現実の感情や風景と重ね合わせることも出来なくはないのですが、なにかもっと得体の知れない内的な世界に在る感情や風景や・・、そんな気がしてならないのです。
そこに直接触れようものならぱあっと瞬間ちりじりに散ってしまうような、そんな心の核心に存在する壊れやすくも無辺際の小宇宙のような。

シューマンの多くの音楽には人間の中にさらに本人も知らない人間が潜んでいる・・そんな異次元の世界を描いているとさえ言えるな気もしてきます。それがFantaisieということなのでしょうか。それともやはりそれは人間誰しも持っている狂気ということにたどりつくのでしょうか?
言いようのない懐かしさを覚えるのは人の根源的な狂気に触れたその時でもあるのでしょうか?

楽譜の表面に書かれた記号をなぞっていったところで、シューマンの音楽の美しさに触れることは難しいでしょう。脈絡なく表れる唐突な曲想の変化も
執拗に繰り返されるリズムもそれだけ捕らえてみたところで作曲者の不器用さが目につくだけです。

詩的な世界・・有り体に言うとそういう言い方も出来ますが至極内的なデ・ジャ・ヴの世界、不思議な懐かしさを感じる世界が、私の触れるシューマンの世界。

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