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38 クララ

クララと言われて「くるみ割り人形」の可愛らしい主人公クララを思い出すか、ロベルト・シューマンの妻でピアニストのクララを思い出すか、さてどっち?
前回ブラームスの名前を出した後、ここでとりあげるクララといえば勿論、ピアニスト、クララ・シューマン。

シューマン、ブラームス、クララという偉大な音楽家達についての作品や演奏、人となりなどはその筋の専門家の方が書かれたものをお読みいただくとして、ここでの興味関心の対象の的はこの天才達の凡庸ならざる恋模様。
週刊誌的な覗き見趣味でこの話題を語るのは決してふさわしくはないし、そうする気ももちろんさらさらないですが、にしても、その非凡さゆえにか、やはりああっだたかこうだったかと詮索してみたくなるものです・・・。

一人の女性としてクララを見てみると、やはり目に止まるのはまず、一生を通して夫ロベルトの作品の最大の理解者として作品を世に知らしめる役を徹頭徹尾自分に課していることです。夫への献身とも、芸術への献身ともいえる立場を貫いています。

1834年わずか15歳にして将来の夫である24歳のロベルトにドレスデンからこんな手紙を送っています。

「あなたがいつも天邪鬼(あまのじゃく)でないようにーババリアのビールをあまりお飲みにならないようにー皆が出かけるときに一人お留守番をしないようにー昼と夜をとりちがえないようにーお友達のことも考えてることを示してくださるようにーせっせと作曲なさるようにー読者が待っていますからたくさん雑誌のためにお書きになるようにーそれからドレスデンにくると堅い決心をしてくださるように・・・」※

幼少時からピアニストとしての生活を送っていたという並外れた能力や感受性の持ち主とはいえ、15歳にして既に細やかな愛情に満ちた世話女房兼音楽家の敏腕マネージャーとしての片鱗を十分にうかがわせていたのですから、すごいものです、まったく。
好きな人に対しても自分のためにああして欲しいこうして欲しいというべったりした甘えを見せるよりも、あなたはこれだけの能力を持っているのだからきちんとそれを成就すべきで、そのための努力を惜しまないでこそのあなたなのよ、それは自分達だけの幸福にとどまらない、多くの人の幸福につながるのよ、という広く深い愛情を見せられる人なのでしょう。そしてあなたの才能を生かすことこそが私の愛情なの・・・と自分の役割を既に心得ています。

自分の演奏に磨きをかけ演奏するだけでも相当な努力労力、強靭な精神と体力を要するというのに、同時にこうして人を愛することも又異性との関係云々といったことを抜きに芸術への理解者としての自分を自然に表しています。実際の生活上で母や妻の役割を担いながら一人の作曲家の優れた理解者であるピアニストとしての立場を貫くのですから、並々ならぬエネルギーの持ち主とも言えます。が・・。

8人の子を産み、夫亡き後も40年にわたりクララは演奏家として活躍するわけですが、常にそばに在ってクララに対し愛情を求め、注ぎ続けていたブラームスとはどうなっちゃったの?夫は亡くなっちゃったのだし、何故結婚しなかったの?クララもそれなりの愛情は示していたのでしょう?・・ということになるわけです。

・・・結婚に対しての当時の一般的な考え方やブラームス側からの情報をあえて何も考えずに勝手に推測すれば・・やっぱりクララはブラームスとの再婚をしないのは苦渋の選択とも言えるかもしれないけど、安直に言わせて貰うなら、同時に妥当な選択なのだろうな、と見えます。

現実的に考えると精神に破綻をきたした芸術家、ロベルトとの結婚生活は彼女にとってはそうそう美しく優しい時間だけではなかったはずです。実際、ピアニストとして自分の練習時間がままならないことを嘆いている記述が彼女の日記に見られるようですし、いくら彼女が深い愛情と強靭な精神の持ち主であったとしても又同時に彼女自身音楽家として感じやすく傷つきやすい繊細さも持っていたことは間違いないでしょう。そういう女性にとってロベルトのような相手との生活は喜び以上に想像を絶する苦労があったのではないでしょうか。

作曲家の生活を支える妻の立場は同時にピアニストとしての自分自身の演奏活動を狭める生活でもあったはずです。それだけ考えてもいかにブラームスと深い愛情を交わしていたにせよ、あえて再び音楽家同士の結婚生活に踏み切れるものか・・・。ましてブラームスと言う人は温厚であったシューマンに比べ、かなり屈折した気難しい面も多く持っていたようですし。

ブラームスが優れた作曲家であることを認めていたからこそ、少なくともクララの側から結婚と言う形に持っていくようなことはしない、ある種の自制心の表れとも言えるような気持ちが強く働いていたのでは・・・。
それから、もうひとつ、あくまでロベルト・シューマンの妻として一生をまっとうしたいという思いもあったのかもしれないとも思えます。 愛情と言う面からもシューマンの音楽の伝道者というピアニストとしてのプライドや計算もあったかもしれません。
真相は? 本人のみぞ知る。

参考 ※「真実なる女性 クララ・シューマン」
   原田 光子 著   ダヴィッド社
  「シューマン」 
  アラン・ウォーカー著 横溝亮一訳 東京音楽社

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