稽古場のピアノ バレエピアニストの世界 WEBサイト
ご使用中のブラウザのJavaScriptをONの状態に設定してください。
稽古場のピアノ
ブログ稽古場エッセイピアノ教室リサイタルお役立ち情報

プロフィールリンクお問い合わせホーム

ホーム > 稽古場エッセイ > 過去の記事リスト > 過去の記事

稽古場エッセイ 過去の記事過去の記事リストへ戻る

37 「ブラームスはお好き」

秋になったらブラームス。そりゃあもう年がら年中好きな作曲家のひとりではあるのですが、何と言ってもこの方は秋が旬。しかも冬の到来を感じさせる晩秋になればなおのこと、どっぷりと浸かって良し。北国の鈍色の空こそブラームス。

交響曲第一番の重厚な響きも、耳を傾けるうちにいつしかこの作曲家の不器用で純粋な生き方と重なりつつ勇気とやる気を与えられるものですし、四番の切なくも風のように通り抜ける冒頭部分も女心をいたくくすぐられるものです。
ピアノ曲ではおそらくはバレエの皆さんにもお馴染みのワルツやハンガリアン舞曲などもありますが、やはり作品118、117あたりの小品集・・というにはあまりに重く、渋く、いぶし銀の美しさに満ちたあたりの作品が大人の味わいというものでしょう。

20歳で出会った恩師シューマンの妻で14歳ほども年上のピアニスト、クララ・シューマンに恋焦がれ続けたブラームスですが、そんな彼の音楽が全篇に聴こえるような小説がご存知「ブラームスはお好き」。
「悲しみよこんにちは」などで知られるフランソワーズ・サガンの作品の中でもつい繰り返し読んでしまう素敵な小説です。
筋立てはとりたててどうというほどのものでもなく、今でいうバツイチである主人公の女性と彼女の長年の恋人、そこに現れた年下の青年・・その間で揺れる大人の女性の微妙な心理が描かれるというものなのですが・・・。

最初にこの小説と出会った学生時代の頃は、そのお洒落な恋物語と洗練された会話や背景に描かれるパリの街並、登場人物達のちょっとしたしぐさなどのディテールにただ憧れ、惹かれたものです。
恋愛小説といってもサガンのそれは登場する女性が経済的にも精神的にも自立していて、孤独と共に生きながらも決してべたべたと男性に甘えてしまわないところが小気味良く、魅力です。この「ブラームスはお好き」の書かれたのは1959年。40年以上も前の作品にもかかわらず驚くほど今も新鮮・・・というよりも、この40年以上前にフランスで書かれた小説に共感できるように少しは生き方の選択肢が広がったのが今の日本の女性達、なのでしょうか。

そんな、手にとった当時は十分に新しいタイプの素敵な女性主人公にもかかわらず、20代の私にはどうにも解せない古さと感じられるところがひとつだけ、ありました。25歳の青年に熱い視線を送られる主人公が「私、もう39よ」・・・。このひとことです。しかも一度ならずもたしか二度、三度とサガンは主人公に言わせています。そして物語の最後、青年との恋の終わり、元の恋人とのさやに収まる彼女のとどのつまりのセリフは「私、もうおばあさんなの」。

どうしてこんな仕事も持って一人で生き、恋も楽しめる素敵な女性なのに、39歳で「おばあさん」なの?
そりゃあまあ確かに39歳は若いという形容はふさわしくないながらも、いくらなんでも老齢と言うには程遠い年です。その女性が自らをおばあさんと言わねばならない心の内・・。どうして?
物語に描かれてる主人公の微妙な心の揺れというのは確かに相手の年齢が若いことを負担に思ったり、思いがけずはしゃいでしまう自分に恥ずかしさを覚えたり・・という少しばかり疲れてそしてまた分別のある「年上の女性」ならではのものです。でも、だからと言って「おばあさんなの」とまで言わせなくたって・・。

そう感じながら何度となく読み返した「ブラームスはお好き」なのですが、数年前、これがある日突然すっきりと飲み込めてしまったのです。素敵なパリの風景やお洒落な会話に興味を奪われていた20代の自分には見えなかった、でも、ひっかかってたこのセリフが。
ああ、39歳は「おばあさん」なのね・・・・。物事を理解するにはタイミングがあるもので、わかる時にはわかるもの・・・そんな釈然としない理不尽さも飲み込めるようになった自分を感じつつ、なんだかすんなりわかってしまったのです。
勿論、小説全体がそれまでとまるで違ってようやくその諸々が姿を際立たせ、すっきりと読めたのは言うまでもなく。

なぜ、39歳がおばあさんなの?説明してくれなきゃわからないし、なぜ、すっきりわかる時にはわかるの? ・・・説明しなけりゃわからない人にはわからないのよ・・という微妙極まりないところが「おばあさん」を言わしめる心理というものでしょう。くれぐれもご自分の大切な女性に39歳はおばあさんか否かなどと問い詰めてガラスの破片を踏むような羽目に陥らないように・・・というところでもあるしょうか。

優れた才能の持ち主同士、深い理解と尊敬のもとにあった関係とは言え、クララ・シューマンでさえひょっとしたらブラームスと対することで(あるいは対峙しなくても)「おばあさん」を感じたかどうかは凡人には定かではないですが・・。

小説中、年下の恋人に誘われ「プレイエル・ホール」で二人で聴くのがブラームスのコンチェルト。「コンチェルト」としてしか記されていないのですが、ちなみにコンサートの場面からその訳文を引用させていただくと
「バイオリンの一つがオーケストラの上にひときわ高くとび上がり、はりさけるようなひとつの音符で絶望的に鼓動すると、ふたたび低くなって美しい旋律的な波のなかに沈み、他の楽器を蔽っていった」。
イングリット・バーグマン主演で映画化されたその中ではブラームスの交響曲第3番の三楽章の憂いをたっぷりと含んだ心惹かれる旋律が使われています。

〜フランソワーズ・サガン著 朝吹登水子訳
「ブラームスはお好き」  新潮文庫 〜

ページトップへもどる


Copyright (C) 2001-2009 Hisari-Isoyama. All Rights Reserved.