21 かくして演技派
バレエや音楽という分野に職業的に関わっていると、生活時間が不規則でどうも夜に傾きがちです。バレエの午前中のクラスなどもありますが、多くのバレエ教師、ピアノ教師、当然バレエのレッスンピアニストなど特に教えることに関わる人にとって、実働お仕事タイムの中心は子供の学校が終わる、又一般の会社勤めの終わる、夕方以後でしょう。土日もやはり生徒へのレッスン時間に当てられることも多いでしょう。
例えば、お日様の明るい平日の午後に美容院へ行きます。すると美容師さんとの世間話のとっかかりはたいがいこんな感じです。
「今日は、お仕事お休みですか〜?」「いえ・・これからです。」「あ、・・・えーっと・・・・。」
「これから」という言葉に全く嘘はないのですが、夕方4時から生徒のピアノのレッスンで云々、と仰向けになって髪の毛をシャンプーされたままいちいち説明するのも面倒です。札幌に住んでいた若かりし頃、かくして私はしばしススキノのお姐さんになりすましたものです。
バレエの稽古場で弾いたり、生徒にピアノのレッスンをしたりというその実質的な時間は私の場合、今は平均して1日ほんの数時間あるかないかです。ところが弾くためには曲の準備期間、練習時間が必要です。演奏会でほんの15分ほど時間をいただいて弾くにせよ練習時間はのべ何時間・・・? ピアノのレッスンをするにせよ子供のレッスンなら毎週のレッスンが単調にならず効果をあげられるよう、興味や関心を刺激する工夫やしかけ(?)も必要ですし、本格派の生徒のレッスンのための曲の勉強の時間も必要です。
というような表面には見えない、直接収入に結びつく時間ではないけれど、ピアノに絡んでやらなければならないこと、やるべきこと、やりたいことをこなすための時間が実に際限なくあるものです。もっとも、やらないで済まそうと思うとこれまた最低限度で済むものですし、広く仕事をこなしてらっしゃるバレエピアニストの先輩K女史の言葉をお借りするなら、仕事がぽっかりとないときなどは「あくびも出ないほどヒマなのよね」・・・・そのあたりがミソではありますが。
そういった準備やら勉強やら自分の音楽のための時間やらの大半は私の場合家に居る時間です。日中家に居るのは世間では「主婦」と相場が決まっているのでしょう。もちろん私も確かにその一人で、庭の草むしりにお風呂のカビ退治に泥つき無農薬野菜のお料理・・・。決して嫌いではない家の仕事で、おまけにお昼寝もできちゃうわけですが、その生活の場にピアノのスペースがあり、これまた始めたらきりのない家事雑事にきりをつけ、ピアノのための時間を兎にも角にも作り出さなければならないわけです。
そんな時間との格闘中、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴ってドアをあければ、一瞬前まで髪振り乱してピアノの練習をしていようが、楽譜をあたり一面開き散らしてはバレエのお稽古のための曲探しをしていようが、「あ、奥さんですか〜○△保険ですけどぉ〜」・・・。
エンジンがかかるまでに時間がかかる私が真冬ピアノに向かってようやく腕が温まり、指のまわりが楽になってきたかと思いながらピアノを弾いてるとトゥルルルとけたたましく電話。
「ハイ?」「あ、奥さんですか!」・・・・・私の苗字は「奥」じゃないのョ、もぉ・・・・電話の向こうの妙に甘ったるく馴れ馴れしい声のお相手は「エアコンのお掃除格安中」やら「浄水器のおためし」やら「着物の着付け教室」やら果ては「お墓のご用意はいかがですか〜」。煩わしい以外のなにものでもない。
性分からか、必要な電話があるかもと思えば留守電にしておくわけにもいかず、いちいちピアノに向かう手を止めてはお断りのお返事をいたす羽目に。エアコンはさっき掃除したばかりで、浄水器も取り替えたばかり、着物はゆかたが一人でちゃんと着られるし、お墓はエジプトに三角の・・・と、良心の呵責などどこ吹く風とばかりあることないこと言いつつ電話を切るというものです。それでも繰り返す電話にむこうもお仕事なのよねぇ、と妙に同情してみたり・・。
しかしながら稀に髪など振り乱すこともなく、優雅な曲をゆるりと弾いてる最中にはピンポーンのチャイムにご機嫌麗しく玄関を開けることもあるものです。
「どちらさまですか?」「えっと・・・あの、□△建設ですけど、えーっと、お嬢さんですね・・お母さんは?」「母は留守ですが・・・何か?」・・・・・・・母は留守?! まあ、確かにこの家に母なる人物はいません、嘘はついてないです、嘘は。見栄はちょっと張ったりしてないことはないのですが。でも、さすがにもうこの手でアポなし訪問販売は撃退できません・・いえ、させていただけない今日この頃です・・。
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