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13 音の職人

「礒山さん、聞いてくださいよ、んもう!! ぜんぜん違うんです、泣きたくなっちゃいますよ、もぉ〜。タッチもばらついちゃうし、弾いてるそばから狂ってきちゃうんですからぁ。どうしましょう〜!」 のっけから「狂ってきちゃう」とは穏やかではない。一体何事?

電話で、彼女が涙ながらに必死に訴えるのは買ったばかりのグランドピアノの話。音大でピアノを専攻し、伴奏やソロの演奏を続けながらピアノを指導する彼女は3台目の楽器を購入したばかり。今の楽器もそう傷んでるわけではないし、買おうかどうか悩みながらも、やはり、値段もまあまあで、響きの明るい、指先の微妙な要求に応えてくれるという評判の良い外国メーカーの新しい楽器に買い換えたい・・。と決意の末、新幹線に乗って楽器工場のある浜松まで行き、狙い目を定めた同じ機種の楽器を3台弾き比べ、ようやく納得して選んで買ったもの。
その念願の一台が遠路はるばる自分のレッスン室に運ばれ、調律を終え、胸ときめかせ、いざ弾かん・・・ん、いや、いかん?・・・・なにこれ!弾かんどころか遺憾、悲観、悲嘆・・・。

楽器は自分で納得して選んだそのもの。では何故、なにこれ!となっちゃうのでしょうか。
どうもあまり名誉とは言えない場面で登場していただく羽目となってしまい大変失礼なのですが、「なにこれ?!」となるか、「この部屋でこんな綺麗ないい音で弾けるなんて!」となるか、これが、実は調律師さんの腕にかかっているのです。

楽器への興味の濃いごく限られた例外を除いて、ピアノ弾きにとって楽器の調整はまず、自分ではほとんどどうにもならないものなのです。音程が下がってきてる、何か変な雑音がする、音の質がもうひとつ気に入らない・・というようなことが起きると、その道の専門的な職業である、調律師さんにお願いしなければならないのです。

子供の頃、ねじをぎりりと巻いて使った時代、目覚まし時計の分解をしたことがなかったでしょうか。この私も「時計の分解」には興味津々で、小さな丸い文字盤のりんりん鳴る目覚まし時計を一人で分解した記憶があります。ただし、組み立てた記憶は、定かではないので、単に壊したというだけのことかもしれませんが・・。
時計も調子が悪かったり、悪戯に分解などしてどうにもならなくなると、街の時計屋さんに持っていき、その道の専門家に直してもらいます。鼻めがねをかけ、ちょっと几帳面にきっちりとワイシャツに毛糸のベストなど着て、時計のことなら黙って私にまかせなさいといわんばかりの、職人さん。そうです、ピアノの調子のことならまかせなさい、が調律師さんです。

改めて思い返してみると、自宅のピアノの調律をこれまで何人の調律師さんにお願いしたでしょうか・・。少なくとも、自分でピアノを教えたりするようになってからというもの、転居、楽器の買い替えなどもあり、1人・・2人、3、4、・・5・・6、7、・・8人、でしょうか。せっかく調律していただいても、どうしても納得できずに、調律師さんの所属事務所にお話してすぐに違う人に変えて来ていただいたりしたこともありますから、結構な人数の方にお願いしていたわけです。

色んな調律師さんとの出会いがある中で、まさにピアノという楽器を通して、調律師さんとその楽器を弾く人間にしか体験できないとても不思議な出会いもありました・・・。

長くお世話になってるバレエの稽古場に古いグランドピアノが入っているのはこの連載の最初の回に書きました。お稽古場のピアノは特にこちらには知らされないまま、必要な時期に調律師さんに来てもらい、手を入れていただいています。稽古場に入ると、あ、調律したばっかりね!という具合に。調律師さんが一体どういう方なのか全く顔も知らないままに調律の時は過ぎてしまうのです。

ところが、なんというのでしょう不思議なもので、全く見ず知らずの調律師さんにもかかわらず、何度か同じ方に調律していただき弾いていくうちに、どういう風貌で、どんな様子で調律をなさるのか・・・どうでもいいようなことと思われるかもしれませんが、気になってしょうがないようになってきました。一体どんな方が調律なさるのだろう・・・と。

バレエの稽古場という、温度や、湿度の変化が激しい決してピアノにとっては幸せな環境とはいえない場の、古いグランドピアノ。でもそれがその調律師さんの手にかかると、本当に・・・まろやかで粒のそろった音色、鍵盤の全ての音が実に心地よい安定した音程にすっきりと生まれ変わるのです。その楽器にいつも接している人にしか気がつかないようなものなのかもしれませんが、楽器にも(多分・・)弾く私にもなんともいえない安堵感を与えるような、居心地の良い気分にさせてくれる調律なのです。

技術的にいったいどういう理由でそうなるのかは分かりませんが、どうもその方、相当な大ベテランのおじいちゃま調律師さんらしいのです。その場に立ち会ってるバレエの若い先生方にも、気さくに話しかけ、世間話などひとしきりしみじみとおしゃべりし、昔ながらの「ふたまた音叉(おんさ)」を片手に、膝でポーンと打ち鳴らしては、基準のラの音をとるという噂の・・・。

繰り返し調律していただくうち、今度こそちょっと無理してでも時間を合わせて、お会いしてみよう・・・そう思った矢先、え?調律師さん変わったの?・・・。相当なご高齢にもかかわらず、お住まいの東京から少々無理をおして遠距離を移動して来て頂いていたのでしょうか。
結局、その調律師さんとお会いすることは出来ないまま・・・・。今もその職人気質の誇りに満ちたあたたかな音色だけが耳に残っています。なんとなく忘れられない音です。

さて、冒頭の友人ですが、その後彼女は結局、電車を乗り継いでは何時間もかかる浜松から調律師さんに来て頂いて、しっかり調整しなおし、安心して弾いているようです。

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